経歴
ケン・コシオは日本の愛知県名古屋市で生まれ育ち、作詞作曲家(シンガーソングライター)として、1998年以来、新たな国であるアメリカ合衆国で自身の願いと希望を伝えてきました。彼はロサンゼルスでフォークロックミュージシャンとして7年活動していました。2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件の後、彼はツインタワーズの悲劇で影響を受けた人々に対する何らかの安心感をもたらす必要性を感じました。この願いは「千羽鶴の旅」としてツアーが始まり、そのクライマックスは一周年記念日にグラウンド・ゼロでコンサートをされました。彼は、より良い、より平和な世界への祈りを込めて、ロサンゼルスからニューヨークへ向かう旧ルート66の道中でアメリカ人に折ってもらった1万羽の折り鶴を持参しました。
2004年に、ケン・コシオはアリゾナ州のフェニックス市に移住し、より多くの日本音楽を演奏し始めました。彼は自分の精神が日本人であることを認識し、アメリカで日本の文化や芸術に憧れる多くの人々と出会ったため、自国の文化とロックンロールのキャリアを融合させた。フェニックス市で太鼓を叩いた時、彼はこの伝統が自分のDNAにあることに気づきました。それが彼を今の多才なパフォーマーに導いています。
また、彼は自身の道場で日本の芸術や音楽のクラスを持ちアリゾナ州の多くの学校に行き、折り紙、書道、民話、民謡、和太鼓、その他の和楽器を使って、若い世代に日本文化を伝えている。
ケンコシオはネイティブアメリカンのアーティスト達とダンス、音楽、太鼓、歌などのコラボレーションを行なっている。彼は世界チャンピオンに6回輝いたフープダンサー、デリック・スワイマ・デイヴィスが主宰するNative Trailの一員であり、ホピ・ト・ワとしてデリックとライオン・ポレカプテワとのコラボレーションを行うなど、数人のネイティブ・アメリカン・アーティストと共に日本ツアーを行い、グローバルな時代に新たな交流を生み出している。
ケンコシオの才能は音楽だけにとどまらず、舞台やイベント、文化理解を目的とするプロジェクト(2002年「千羽鶴の旅」、2008年「ヒロシマ・コーリング」、2012年「桜の根」等)にも発揮されている。私たちは、音楽と芸術は異なる文化や言語間のコミュニケーションにおいて大きな手段の一つであることをわかっています。 2013年、ケンコシオは世界音楽オーケストラの特別ゲストとしてインドを訪れ、ギネス世界記録を達成した。
広島太鼓保存会により広島地太鼓の指導者免許を取得した。この免許を持つのは、海外でケンコシオが初めてである。広島の被爆者である宗像先生から指導を受ける。彼は、宗像氏の広島に関する知識と経験を広め、平和な世界のために太鼓のリズムを守ることを使命としている。
また、彼は2015年にミュージックアーティストとして市長芸術賞を受賞し、2016年には、アーティスト部門で知事芸術賞にノミネートされました。彼の芸術と音楽はこれから世界中に届くことができるでしょう。